2005年04月28日

余命という考え

JRの事故。


うちの学校の学生が亡くなった。




人間の命は儚い。

そして未来は「予測できない」


人間だれしも、自分の未来を疑ったりはしない。
自分には10分後があり、明日が来て、
そして将来がある。
そんなことを当たり前だと信じ、今の時間を過ごしている。

それが 思い込み だってこと
に気付かされた。

前にも思った、「10年後の自分」を
想像し、語ることは、
ある意味 傲慢でしかない。
"自分が10年後生きている"それが前提となっているから。



思い込みの持つ効力は大きい。
思い込むことは大切である。

だけど、それが"思い込み"であることを
忘れてはいけない。




明日はもしかしたら来ないかもしれない。


多分、電車に乗っていて亡くなった方全員、
自分が死ぬなんて思わなかっただろう。
 今日の授業のこと、
 これからの取引のこと、
 今日これからどうしようっかな、
そんな事を考えていたはず。

同じ日同じ時間に同じ様なことを考えていた大勢の
うちの一人として。

だけど、その大勢のうちの何人かは、そのまま生き続け
何人かは命を絶たれた。


  それが現実。


  世の中は何によって廻っているのか。
  運命を操っているものがいるんだろうか。
  それぞれの人に、
  それぞれの「途切れる日」がある。
  私にも。
  あと、「余命***日」という事実は
  生きてる生物すべてが背負っている。
  その*が、1か、10000か、
  それは途切れる時にやっと判明する。

  その時、人間
  なにを思うんだろう。
  逝く前の10秒間に何を思うんだろう。
  
  「嫌だ」「まだ死にたくない」と思うんだろうか。
   それとも「家族」や「恋人」のことを思うんだろうか。
   それとも・・・
  「そうか死ぬんだ」と受け止めれる人はどれくらいいるんだろう。
   
   拒否と許容。
   その二対の種類があるとすれば、
   今の私がもしそういう状況になれば、間違いなく前者なんだろうな。
   
   だって、まだやりたかったことがいっぱいある。
   出会いたかった人もいっぱいあるし、
   経験したかったことも計り知れず。

    そうか・・・。


    そんな事をぶつぶつと思った。
    だからなに、とか
    この考えにまとまりとか流れとかはないんだけど、
    そんな事を
    考えた。
   
  
posted by y at 18:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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余命という考え

JRの事故。


うちの学校の学生が亡くなった。




人間の命は儚い。

そして未来は「予測できない」


人間だれしも、自分の未来を疑ったりはしない。
自分には10分後があり、明日が来て、
そして将来がある。
そんなことを当たり前だと信じ、今の時間を過ごしている。

それが 思い込み だってこと
に気付かされた。

前にも思った、「10年後の自分」を
想像し、語ることは、
ある意味 傲慢でしかない。
"自分が10年後生きている"それが前提となっているから。



思い込みの持つ効力は大きい。
思い込むことは大切である。

だけど、それが"思い込み"であることを
忘れてはいけない。




明日はもしかしたら来ないかもしれない。


多分、電車に乗っていて亡くなった方全員、
自分が死ぬなんて思わなかっただろう。
 今日の授業のこと、
 これからの取引のこと、
 今日これからどうしようっかな、
そんな事を考えていたはず。

同じ日同じ時間に同じ様なことを考えていた大勢の
うちの一人として。

だけど、その大勢のうちの何人かは、そのまま生き続け
何人かは命を絶たれた。


  それが現実。


  世の中は何によって廻っているのか。
  運命を操っているものがいるんだろうか。
  それぞれの人に、
  それぞれの「途切れる日」がある。
  私にも。
  あと、「余命***日」という事実は
  生きてる生物すべてが背負っている。
  その*が、1か、10000か、
  それは途切れる時にやっと判明する。

  その時、人間
  なにを思うんだろう。
  逝く前の10秒間に何を思うんだろう。
  
  「嫌だ」「まだ死にたくない」と思うんだろうか。
   それとも「家族」や「恋人」のことを思うんだろうか。
   それとも・・・
  「そうか死ぬんだ」と受け止めれる人はどれくらいいるんだろう。
   
   拒否と許容。
   その二対の種類があるとすれば、
   今の私がもしそういう状況になれば、間違いなく前者なんだろうな。
   
   だって、まだやりたかったことがいっぱいある。
   出会いたかった人もいっぱいあるし、
   経験したかったことも計り知れず。

    そうか・・・。


    そんな事をぶつぶつと思った。
    だからなに、とか
    この考えにまとまりとか流れとかはないんだけど、
    そんな事を
    考えた。
   
  
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